花巻市の殆どの小学校とはいえ、平成の合併前の話ですからずーっと
前の事に成ります。何年前なのか・・・私の記憶も相当にぼやけています。
小学校5年生の時には、親子レクという学校の行事で、早池峰へ登山した事が
ありました。その数年前には地区の子供会の行事で。
子供時分の登山の記憶は 二回でしょうか?大人になってからは、幾度となく
頂上へ上がったことを覚えています。
子供時分の記憶を紐解きましょう・・・
私の祖父は大正2年生まれでその当時は、まだ現役で会社の重役をしていました。
祖父は、学生時分にラグビーをしていたようで、体つきはその当時の平均値より
大きかったと思います。体力も今現在の私よりは格段に上だったと思います。
そんな祖父が、私を早池峰登へ誘ったわけです。
登山の様子は、今でも鮮明に記憶していたものがよみがえります。
早池峰山頂を望む(小田越登山道から) |
あの登山は、山開きをしてすぐの日曜日・・・。天候はあまり良くなかった。
梅雨空のなか、雨の合間を見ながらの登山になりました。
当時の登山の道具と言えば、ほとんどがお手製のもので、こんな装備で
山登りできるのか?と思えるような幼稚な装備ですが、なんとか登頂に成功
したわけですよ。今、記憶を整理してみれば・・・なぜに私を山へ連れて行った
のか?私を山へ連れて行ったのは、私に根性を付けさせるための試練だった
と言うほかないでしょう。私、これでも、ボンボン温室育ちだったので、
当時は根性もなかったのです。(今でも根性はないのですが)
山行の途中で何度も何度も「大丈夫か?疲れてないか?足は痛くないか?」
そう声掛けをしてくれました。これって・・・私が今子供たちへ声かけしている
ものとほとんど同じ感情なのではないか?と思えるんです。
声かけは、してくれましたが・・・手助けは一切してくれませんでした。
そんな祖父でした。
私も、子供たちには・・・声かけをしますが、手助けは一切しません。
私の思想信条は、こんな祖父からの贈り物なのかもしれません。
私の原点は・・・子供のころ登山した早池峰にあるのかもしれません。
私の記憶の中で失ったパーツを早池峰山へ探しに行くことが必要かもしれません。
早池峰山への登山については、いろいろと規制が厳しくなっていて、昔とは
全く様相が違うのです。それでも、早池峰は私のねじ曲がった心を優しく迎え
入れてくれるでしょう。
早池峰登山に今年は、子供たちを連れて行きたいと思っています。
子供をたくさん連れている、引率者だと感じた時には、遠慮なく、
「熊ちゃん?」って声を掛けていただければと思います。
子供たちも、励みになると思います。
早池峰への道は、過去から現在までつながっている。私の忘れてしまった
過去の記憶を取り戻すための険しい道・・・。
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